新米勉強ノート

いろいろ吸収して大きくなるぞ

がん告知

父が胆のうがんと診断された。

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自覚症状

3月21日、熱っぽくて体温を測ったら37.5°で、風邪だと思った。翌日は会社を休んだ。

この頃、右脇腹の痛み、背中の真ん中あたりの凝り、満腹感などの症状が出ていたが、まさか病気だとは思わずマッサージに行ったりしていた。

思い返すと1年くらい前から家でご飯を食べなくなっていて、朝ごはんもみそ汁とおかずくらいしか食べていなかった。そのことを父に聞くと、満足する量だけ食べるようにしていると言っていた。ダイエットのために食事の量を意識しているんだと思った。

病気がわかった今では、それが初期症状である「満腹感」に当てはまるとわかるけど、健康だと思っている人には「最近お腹いっぱいになりやすい」でしかなく、病気だとは気付けなかった。

先日は、食欲がないのに無理やり食べて部屋でうなっていたのを姉が聞いていた。

 

検査

3月24日、自分で予約して大学病院に検査を受けに行った。気を遣ってタクシー配車しようかと言ってみたら本当にお願いされたので、相当良くないんだと思った。

しかし診察は簡単な触診で胃酸の出過ぎで済まされ、中堅医院の紹介状が出されただけだった。救急搬送じゃないからってレントゲンも取られずあっさりだったと言っていた。ちょうどこの日が父のお父さんの命日だったらしい。

3月26日、会社の近くの医院でエコー検査を受けたところ大学病院での精密検査を勧められた。翌日、最初に行った病院へ、今度は紹介状を持って受診。大きい病院って、救急車で入るか紹介状がないとろくに診てもくれないんだ。

血液検査の結果、先週より数値が悪化していることがわかりすぐ入院と言われた。ベッドの空き状況などもあり、結局入れたのは翌週月曜だった。

 

入院

4月1日、新元号発表の日にようやく入院。この日付き添ってくれた母は身体的にも精神的にもかなり疲弊しており、翌日は私も会社を休んで病院に行った。

4月2日から、さらに詳しく調べるためいろいろな検査を受けた。かなり状態悪いのかなかなかスムーズに進まず、方法を変えながら何度もトライした。何度やってもダメだった検査もあった。内臓の検査の多くは胃の中を空にしなければならず、水も食事もなしの日が続き日に日に痩せていった。

4月10日、母のケータイに電話があり、検査結果と治療について面談が組まれた。

 

告知

4月12日、父には11時半からと伝え、家族は11時から面談することになっていた。

早めに家を出たのに、駅を降りたらやけにゆっくり歩いた。病室外のオープンスペースで先生を待つ間、みんな緊張して時間がとても長く感じられた。(先生は15分遅れたので実際のところ本当に長かった。)

15分遅れで現れた先生に案内され面談室に移動しようとすると、案の定父に出くわし、結局全員で告知を受けることになった。

診断としては「胆のうがん肝転移」。原因は生まれつきの膵・胆管合流異常。検査の写真では肝臓にボコボコと白い影が映っていた。肝臓は摘出できないため治療は抗がん剤治療。目的は完治ではなく進行を止めること。来週から治療開始し、最初の1週間は入院、その後は外来で治療を進めることになった。

説明が終わり父と母が病室に戻ったあと、姉と一緒に先生に聞いたらステージ4と言われた。どれくらい生きられるとかあるんですかと聞いたら、この状態だと3か月、抗がん剤治療で平均8.4か月と言われた。8.4か月って何だ。がんと言われる準備はしていたけど、さすがに想定外だった。今日は父には伝えなかった。

不思議だけど涙は全然出ない。事実は理解したと思うけど、分からないことが多すぎて何がわからないかも分からなくて、悲しさとか辛さとか特に感じない。けど夜お布団に入ったら急に怖くなって、調べものしてたら新聞配達のバイクの音が聞こえた。